おいでなすったー

テーマとか宣言すると一夜坊主で終わることがわかったので、そういうのやめて、書き散らかしていきます

真面目な話をすると見せかけてゴシップにシフトしていきます

ソフトウェア開発では、自社しか持っていないもので優位に立って仕事をするという考え方もあるけれども、車輪の再発明を避けるという発想からすると、世の中で使われているものを一緒になって使い、知識は共有する方向になる。そうすると、人は育つと会社にいる必要がなくなる。

という話を研究室の師匠にしたら、

せっかく一生懸命教えても自分の手元から出ていっちゃうと思うと、教えがいがないなと思わない?

という質問を返されたことがありました。人間って、他人への質問の形で自分を確認しようとするよね。

それ、先生がおやりになってることでしょ?

ということ。

有益な人間は成長してオレの手元に居る必要がなくなってどこか好きなところ行っちゃう可能性があるけど、これは仕方のないことで、かれの成長過程の一時期だけここにいてくれて利益をあげさせてもらったでいいと思うんですよね。だって出ていけないから出ていかないやつなんて使っても何も役に立たないし。出ていけるけど出ていかないが続く事業が作れるといいんですけどね。

が、オレの答えであって、要するに「出ていかれるとしても、使えるヤツを使った方が、その過程からより多く利益が出るからそれでいいと思う」ということだけど、そう思って見ると、大学の研究室とかゼミのようなものは、不思議なところですね。

学費や助成金から出てる給料を受けている教職員ではあるけれども、師匠と弟子の関係性においては、ちっとも使えない時期の弟子を一方的に世話して、年限が来るとほぼ確定的に出ていかれてしまう。

それでも土曜の学生の勉強会に付き合ってくれたりであるとか、助手・助教の先生も学生のゼミの資料集作って「こういったことを評価してもらえる仕組み......?ないw」などと言ってたりであるとか、正しくそこを流れていく学生に教育を「与えて」、出ていく先の社会に利益を供給するのが教育機関で、それをマジで実践している人たちはすげえなと思うんですよね。オレには無理だと思ったので大学院やめたんですけど。

そう思ってたんですけど、日大アメフトの事件のやつ見て、教える立場の人間が低劣だと、出ていく先の社会がちやほやしてくれるし途中でここを辞めたら行くあてもないという外部資源を活用して、いま居る学生を搾取して自分がやりたいことをやる、タックルさせるとか、という構図にもなりうるんだということにびっくりしました。

これ社内がブラックなことになってる会社の経営者が「いまの環境がハードでも、会社がなくなっても世間に通用するような能力がつく方がよい。温いことをやっていて通用しなくなる方が本当のブラック」みたいな言い訳に逃げるのも同じ構図ですよね。社員が辞めたあとという自分が責任を持たない場所において自分のやり方の方が成功するという根拠のない仮定を置いている点で、実際にいい就職先をあっせんしてくれると噂のブラック体育会系運動部よりもっと悪いんですけど。

やっぱり、大学の研究室とかゼミとかと企業には、所属する人との関係性において同じ構図があるんですね。どちらも人間の集まりで指導者がいるんで当たり前なんだけど、企業の側が一定のペースで人の加入と卒業があると、なおさらに研究室のノリに近づくんだなということを思いました。

例えば、IT企業とか、ブラック企業とかです!「大学のだめな体育会とか研究室みたいな性質をもったブラック企業であるIT企業」みたいなのが、諸々の相性がよくて出現しやすい、落ちやすいダークサイドなんだなということですね。気を付けたいものです。