おいでなすったー

テーマとか宣言すると一夜坊主で終わることがわかったので、そういうのやめて、書き散らかしていきます

少し灰色の魔女に寄りつつあるアラフォーの話

取引先担当者氏と差し飲み。

「いやぁできてないんですよエヘヘ」が多すぎてついに絶縁を突き付けられるかとハラキリの準備を調えて臨んだが、そうではなくて取引先社の状況や担当者氏の権限に変化の兆しがあって、駒としての弊社をどう使うかのための探りがサブ目的だったようだ。

「純朴で包み隠さない感じで接してくれるのは好きだけど、社内で説明がつきづらくならないようにもうちょっと狡猾にやってください」みたいな表現で二寸くらいの釘も刺されたけれども。エヘヘ。

学校出て専業になってから5年くらいのあたりから、「この話とこの話が出たということは、こういう意図だ。」とか、「ではこちらもこの件は伝えておこう。」みたいな計算をしながら話すようになってきた気がするのだが、最近は、それと並列的に同時に成立する形で「『久しぶりに一緒に呑みたいし』という言葉は基本的に本当であろう」という“総合評価”ができるようになってきたような気がする。

気がするだけで合ってるかどうかわからないんだけど、そういう解釈にBETして外してもまあカブればいいだろう、というくくり方をするようになった。

 「いまお願いしているような仕事ではつまらないと思うことはないですか」ということを心配されていたようだ。

わたくしは道具の専門家であって、道具に対する専門性がひとの役に立つ瞬間が必ずしもユニークなプロダクトとか最先端技術とともにあるわけではない。どんな状況であれ、この場でわたくしの知恵が最も鋭く役立つということが快感につながる。ぶっちゃけ、題材はパソコンの大先生案件でもかまわない。

それから、わたくしは特定のプロダクトを成功させるとか、世に大きな価値をもたらすとかよりも、わたくしが作り支配下に置いている会社がうまく回るということそれ自体に面白味を感じる。じぶんが全てを制御したものが完璧に動くということに興味がある。

なので、このままの体制で事業継続性はどうなのかという問題を除けば、やってる内容に不満はないよ、という話をした。

もっとも重要な目的のために、シンプルな判断基準をもって進むべきであるという考えがあると思う。物差しは自分にとって最も大切なことひとつにし、どんなこともその物差しで判断すること。売上を上げることを至上と考えるなら、案件を請けるかどうかも、誰かを雇うかどうかも、売上にプラスかどうかで判断すること。さもないと、場面場面で自分に都合のいい物差しで判断してしまう。気が付くと沈んでいる。......そういうふうに知り合いの社長から教えられたことがある。

その時の「『従業員の満足度』みたいな、定量化できないものは物差しに使えないから考えちゃダメ」という言葉が余計で、「じゃあ、オレはそういうんじゃないやり方を考えたいな」と思っちゃうんだよね。

ものごとは単純化して合理的判断が可能な様にして扱うのがセオリーではあるけれども、自分が大学で教わったころには丁度「複雑系」というテーマがあり、複雑なものを複雑なまま扱って初めて見えるものがあるのではないか?という視点が提示されつつあった。わたしたちの現在の能力なら、そういうこともある程度できるのではないか?という時期に育てられた影響か、わたくしは、複雑さを内包したままうまくいくというのを見たい、という動機がある。

早帰りして子供のお迎えに行く人と、ガンガン仕事時間を稼ぎたい人が一緒に仕事してお互いその辺の事情に干渉しなくてもうまくいくというチームにしたいとか、顔を合わせたコミュニケーションが有益だというのは認める(なので敢えて個人スペースを重視した事務所をつくった)けど、毎日決まった時間に決まった場所に張り付くとかは非効率的だと思うみたいな、バランス厨なところが自分にはあって、
それが下手な優柔不断になるのか、すぐれた調和からの快進撃につながるか、操縦次第だと思うのだけど、そこを細かい計算が得意なのを活かしてうまいことできたらいいなっていう、そういうのが自分のテーマだよな、ということを自己の中で再確認した夜でした。