おいでなすったー

テーマとか宣言すると一夜坊主で終わることがわかったので、そういうのやめて、書き散らかしていきます

20年時間差指導の話

高校の同窓会幹事のIを通じて、現役の記念祭小委員長(いわゆる文化祭の実行委員長)が、OBの記念祭小委員長経験者と対談をする企画をやりたいと言っている、協力してくれないかという話があった。

酔っぱらっていたわたくしは、facebookメッセージの操作を誤ってサムズダウンのボタンを押し、慌てて取り消して言い訳をしたときには、快く「わかった!」というテイで行かざるを得ないカンジに追い込まれていたのだ。

それで現役高校生くんと連絡を取ったが、OBは3人しか出てきてないという。なるほど、90と数代の各期の幹事に呼び掛けても3人位しか動いて伝えてくれないような話があったときに、その空気読んでない3人の中にIは居る。迂闊だった。

 学内に川が流れていますカオスです楽しいよとかではやはり近年の世相に対して受けがよくないのか、さいきんはなんか世間に逆らうわけにもいかないから大学受験の面倒も見ていますみたいなアピールもしている武蔵である。現役の学生も、とっても毛並みがよろしくて、ちゃんとしている。

話したい話題の最初が「小委員長の選挙」で、記念祭の実務は数年の経験がないとできないから、校友会(生徒会)に関係してきた学生が主導するほかないのに、結果のわかりきった投票に意味があるのだろうかみたいな問題意識があるのだという。

「あの、おれの代、そういう既定路線で行こうとしたらみんながNO出しちゃって、再選挙で勝ったのが俺......」って言ったら、世界観に危機が兆した顔をしていた。
「あ、でも俺、勢力的には主流派が『コイツならどうだ』って出してきた2発目だから」と、秩序が保たれたことをアピールしたのだが、隣にいた先輩が「今の話でいうと僕は完全に主流派じゃない方だねえ」と発言してしまい、やっぱり世界は破滅した。

話題として「面白い授業」とか振られても、Q先生が○っ払って*1授業したことがあったとか、研究室の本棚を蹴っ飛ばして落ちてきた本のタイトルでその日の授業内容決めてると言われていた、みたいなのは、あんま言わない方がいいんだろうな?などと思った。

などと思いながらも、個人的に強く印象に残る指導を残されたのは、Q先生なのだ。

  1. わたくしは高1の家庭科では「登山」を選択していて、白馬の山荘に数泊したのだが、その主宰がQ先生であった。*2
    「君たちを泊りがけで預かるのだから、親御さんに説明をする」として、それが中高で最初(で最後)の三者面談になった。言われたのが「小林君は話を聞くとき、いつもメモを取っているので心配している。そういう大人にならないでほしい」だった。母は「あーそれ格好つけてるだけなので大丈夫です」と答えた。
  2. 高1か高2の生物の講義で、Q先生は「ウリミバエを人工的に絶滅させた方法」の話をしていた。この手の大学入試に50年に1回も出なさそうな話題は、9割の学生がマトモに聞かないが、わたくしは逆にこういうのが大好物である。期末試験でひとりだけ90%近い得点を叩き出した。しかし、点数の横に「うーん......」と書かれた。

Q先生は亡くなられてしまったので、もう答え合わせをすることができないが、この二つの出来事に込められた指導の「読解」が、年齢とともに、少しずつ進んだ気がする。久しぶりに話をして、思い出して、わかった。これらは、同じことを言っている。

まじめにやっているポーズで相手の歓心を買って誤魔化そうとするな。目の前のものに知的能力を集中して、高度に理解し、結果を出せ。そういう意味だったのだと思う。

間抜けな話だが、会社をつくって、運転資金を借りて、初めて、そういう発想が本当に理解できるようになった気がする。それで、教えが読み解けたような気がする。20年後である。

まあでもQ先生、中1の山上学校でYっ払って*3、おれに「おい!お前そこに座れよ!」って絡むから、胡坐かいて座ってやったらすごい喜んで褒めてくれたんで、ただ単に生意気なガキが好きで優等生ぶったガキが嫌いだった可能性もワンチャンあるよね。

*1:落ち着き払って、です。いいね?

*2:かつて家庭科は女子だけが必修であったが、90年代に男子も必修とされた。武蔵は調理室がないという抗弁でギリギリまでこれに応じてこなかったが、どうしても対応せざるを得なくなって最初の数年間は、教員が得意分野の特別講座を開く、という形態をとったのだ。「C言語」とかがあったので、文部省に圧力をかけられて教師会が逆ギレに及んでいるのではないか?と我々は噂していたが、本当のところはよく分からない。C言語で家事ができる可能性も、なくもないし。

*3:よく落ち着き払って、です。何度も言わせんなよ?