おいでなすったー

テーマとか宣言すると一夜坊主で終わることがわかったので、そういうのやめて、書き散らかしていきます

はじまりのきせつ

4月が年度の境目ではない生活になってから久しいが、それでも周囲では4月というと区切りであるということが多いので、どことなくスタートっぽい雰囲気になってしまう。

ある人から「まとまった文章を書く気はないのか」と問われ、「ときどき思いついて書くが三日坊主どころか一晩坊主になることが多い」と答えたのだが、これまでテーマを明らかにすることにこだわったのがいけないのかもしれない、という気がしてきた。すなわち、テキトーに書き散らかすだけならぼくは3日をこえて生きていけるのかもしれない。

居酒屋おに平のランチが値上げしていた。自分で仕事をするようになってみると、思い切って値上げをするということはリスクをとる行為で、仕事が持続していくために必要なことでもあるから、街のお店の今日から値上げをしますという宣言には、えらいな、という感想を持つ。
それにしても、850円→880円か。これは、10円玉を扱わないことによるメリットを捨ててでも値上げするのだけれど、900円と言ってしまうのはちょっとこわい、というバランスを感じる。外神田ランチはたしかに800円台がおおく、900円は心理的抵抗がある厚い壁なのかもしれない。熱中屋のA~Cランチも一律880円であって、レジには120円のコインの塚が積まれるという業務効率化手法が採られている。「二人分PASMOで」とかいうと一瞬「うぇ?」という顔をされることになる。

3桁円で電子決済が便利と言えるのは、コンビニレジまでかなという気がする。利用される端末によってはPASMO(交通系電子マネー)でもスムーズに出てくるものがあるのでアレもまあいいと思うが、それでも熱中屋のランチだったら千円札出して120円受け取れば一瞬なのと比べると、だいぶ劣ると言わざるを得ない。

中国とかで電子決済が発展しているのは、経済活動の監視と統制という社会的要請のためだという意見に一定の説得力を感じてしまう。オレ自身はiD、PASMOオートチャージあり)、クレジットカードを積極的に使うが、これはいずれも支払いをクレジットカードにつけて先送りするためである。びんぼーだから現金をつかいたくないだけなのである。
現金支出を厭わない人たちが一定数いる限り、電子決済は普及はしても現金取引を駆逐はしないのではないだろうか。

もっと、顔パスで俺が黙って鯛焼きをとって食べると自動的に150円課金されるとか、そういう感じになってほしい。課金する先はクレジット支払いでお願いします。

 

何も考えずに書き散らかすだけなら割と文字を並べることができる、ということが分かってきたのだけど、オチがつかない、ということも見えてきた。それについては解決策を見出したので、それを採ることにしたい。すなわち、オチはなくてもいいのではないか。